長考した結果、俺は生かすにした
祖父の誉れを尊重して殺す人も多いと思うが仁からしたら誉れ以前に大切な家族なんだよな
誉れを捨てて生きていく世界は意外と良いもんだぞ見て欲しいと思って殺さなかった
祖父は意思が固すぎると言ってた父の墓の前だし同じことを想ってると思ったからな
生かした後に切腹しなかったところをみると祖父も仁の想いが伝わったと思って安心したわ
太刀を口に咥えて騎乗した馬から降りるって自害の方法と争うぐらいにあるにはあった
手段としては当然あったろうが、責任を取るためのハラキリはもっと後では
そりゃガイジンや日本人だって武家の自害の方法と言えば切腹なんだからわざわざ当時は半々でも
脳天串刺しよりそっちを選ぶでしょ
>>841
なんか会話が成り立ってないんだけど
この頃はまだ責任とる=切腹じゃないから、>>811 の最後の行の解釈はちょっと違うという話
横レスしてくるならちゃんと流れ読んでね
あと鎌倉時代に切腹文化はまだない模様
お前は歴史勉強してこい
切腹自体は平安時代から行われてたよ
室町初期の書記で広まっただけで鎌倉時代には定着していたというのが定説ですよ
でもその頃はまだ切腹=誉ある方法 ではなかったんだが
wikiからのコピペ
平安時代 編集
中期頃の988年(永延2年)に藤原保輔が事件を起こして逮捕された時に、自分の腹を切り裂き自殺をはかり、翌日になって獄中で死亡したという記録が残るが、習慣としては末期頃から始まったと考えられている。『平家物語』、『太平記』などの文献では、切腹自体は例が多いものの[5]、自決の方法は刀を口にくわえて馬から飛び降りる、鎧を重ねて着、海に飛び込むなど一定しておらず、切腹が特に名誉な自殺方法と見られることもなかった。武士への死刑執行も全て斬首刑で、身分ある武士といえども敵に捕縛されれば斬首刑か、監禁後に謀殺であった。
>>894
切腹が特に名誉ある方法ではなかった
って書いてあるな
まぁこのゲームはファンタジーサムライだからそんなん気にしてたらプレイ出来なくなると思うけど
江戸時代に武士道の教養が培われ武士道文化が発達してから誕生した様式美の切腹とそれ以前の切腹は意味が違ってくるよ
武士は高尚な首狩族といえる
ぶっちゃけガイジンさんはサムライ=後者のイメージしか持ってなさそう
元スレ:http://toro.2ch.sc/test/read.cgi/famicom/1596306545/
切腹が作法として出てくるのは
戦国時代末期だな秀吉かそのちょい
前くらい
時代云々はそもそも刀やら甲冑が鎌倉時代の物じゃない上に火薬系のオーパーツ出まくりなのに今更や
槍でも刀でもない、弓がメイン武器
切腹はあっても自殺の1つで名誉な死に方ではない
一騎打ちばかりやっているわけではない
騎馬で徒党を組んで戦闘(弓)がメイン
日本側と蒙古側の弓矢の射程はそこまで差がない
てつはうは使い方が分かっていない
史実ではあそこまで対馬に生き残りはいない
ゆなも言ってるように伯父上は武士の誉れってやつにガチガチに固められてるから、
例えエンディングで生かす選択をしてもそれは文字通り「生き恥を晒す」ことで、死ぬよりも苦痛なんだと思う
それが唯一の血縁者なのだから生きて欲しいという仁の想いとどちらが勝るのかは分からん
秀吉の高松城攻めの時当時の城主が部下の助命嘆願のため舟の上で切腹して
『いい死にっぷりやんけ!あれこそ正に武士やな!!』
って秀吉がなったからそこから切腹=名誉 みたいな風潮になったってなんかで見た気がする